反省日記

勇気を出したら傷つけてしまった話とそこからの反省

頑張るマンです。

この記事で伝えたい結論なんですが、弱メンタル不慣れほどマチアプで女性と関わったほうがいい。

ノウハウで動かない方が良い。

そしてまた、この記事も頑張るマン個人が自分自身で経験したことの経験と反省なので君は鵜呑みにしてはいけない。

経験がないのなら距離感のバグが人を傷つける。

反省が大量にある。

勇気を出して身近な人に近づきすぎて傷つけた

僕は異性との関係構築が苦手。

勇気を持って話しかけて、向こうも楽しそうに話してくれたと思ってたけど実は傷つけていた。

また話したくて話しかけてたら避けられるようになってしまった。

距離感のバグ。

相手には一切の非はなく、相性と僕の距離感バグが産んだ悲しい事案。

僕にとっては反省もある一歩になったけど、普通に考えて相手にとっては恐怖でしかない。

どの視点から見ても自分が悪い

どう考えても自分が悪いのだ...。

3つの視点から俯瞰してみる。

自分からの視点

まず、前述の通り、冷静になって考えてみれば普通にコミュ障の異性から急に頻繁に話しかけられる様になったら疲れるに決まってる。

そもそもどう思い出しても会話が成り立っていなかった。

相手を知りたくて価値観を深堀りしていたが、自分が好きでもない人から急にやられたら普通にいやだ。

毎回それしかしなかった。

相手からの視点

まず、いきなり突き放すわけにはいかないので、1,2回まぁ3回目もギリ会話はするだろう。

毎回、なんか価値観の深堀りをされる。

「なんだこいつ、執着を感じて気持ち悪い」

俺が俺に同じことされたらそう考える。

ストーカーされそうで怖い。

というかストーカーされてると既に感じる。

第三者からの視点

事案

反省

反省しなくちゃいけないことがたくさんある。

自分らしさが出せないなら、関わるのをやめる

思い返してみれば、自分らしさを出せてる瞬間がなかった。

こうしなきゃ、ああしなきゃ、価値観を深堀りしなきゃ、同調しなきゃ。

こっちも楽しくないし、相手は大人の対応で話してくれても心の底から楽しめるわけがない。

これは、異性間だけの話ではない。

人間同士すべての関係における大事なことだと思う。

まず一回会話してみるのはいいと思う。

そこで自分らしさを出せないならもう関わるのをやめるべきだ。

ノウハウやテクニックで心を掴んだとしても、自分らしさを出す勇気が無いのならもうやめておいたほうがいい。

ノウハウに飲まれると自分らしさをさらけ出せなくなっていく。

ノウハウに削られていった自分らしさ、最後に残るのはただの執着だ。

ただの鋭い凶器として、相手の心に傷を負わせるだけになる。唯一最後に残る自分らしさは相手を恐怖に陥れる鋭い凶器。

自分らしさを第一にする。それで合わないなら合わない。そりゃそうだ...。これが反省1つめ。

目の前の執着に従わない。興味が執着に変わったら終わり

興味は執着に変わることがある。

僕はその瞬間を明確に理解した気がする。

最初に興味に従って踏み出した一歩、そこまでは興味を満たす行動だ。

そこで相手もこちらに興味をもたなかったのなら、そこから先は一方的な加害的な執着となる。

とはいえお互い興味が噛み合っていたであろう手応えがある瞬間はたしかにあった。

そして、思い返してみれば執着になった瞬間は明確にあった。

「相手に行き過ぎたプロセスを一方的に感じさせた瞬間」

それが興味が執着に変わる瞬間だ。

例えるなら面接で落としたはずの就活生が入社したつもりになって勝手に出社してくるくらいの騒ぎだ。

具体的にどう反省するべきか?

現在の関係から明らかに飛躍した未来を妄想したときは危険領域という自覚を持つこと。

今の手応えや距離感を客観的に見るべきで、常に自分を疑うべきだということ。

ノウハウばかり見ると自分のことも相手のことも見れなくなる

世の中には、ノウハウが溢れている。

ノウハウを活かせるのは自分らしさの土台をさらけ出せる段階になってからだと思う。

ノウハウだけで関わるのだったら、相手からしたらAIと話してる方がマシだ。

ノウハウで機械的に深堀りするなんて愚行は、プロンプトを入れてもないのに勝手に情報を分析して流し込んでくるやばいやつだ。

当たり前に大切なことは、

自分らしく健全に”今”の関係値に見合った興味を持って、自分らしく会話をすること。

相手を見れなければならない。

境界線を大事に

境界線がおかしい。

自然な時間の流れでゆっくりと共有するべき価値観、それを無理にノウハウで探ろうとするその境界線自体がまずおかしい。

これは、一般常識的な話ではなく、根本的に僕が治さないといけない病気だと思う。

どう考えても、今回の行動は必要以上に相手の境界線を踏み越えた。

自分軸と言いながら行動をしたまではいい、そこから先の興味を超えた執着は自分軸などではなく境界線を無視した自己中心敵な加害だ。

より一層、境界線を意識しようと思う。

ここから得た反省は、

「執着や境界線が曖昧なのなら身近な人間には、必要以上に関わるな」。

僕はこれから、身近な人間には無言になると思う。

「達観した人は無言になる」という話を違うと思っていたけど、今回でわかった。

達観した頑張るマンは身近な人には無言になる。

わざと蔑ろにすることもまたおかしいので、境界線をただ守る。真の意味で無関心になる。

対人関係に詳しい人からすれば、おかしい選択かもしれないけれど、これくらい極端にやってみないと自分に合う匙加減はわからない。

それが僕らしいやり方だから。

善意もまた不健全なコントロールであること

相手に笑顔になってほしいとか、幸せになってほしいとか、

そういうフェーズでも無いのに願うこと自体が境界線が不健全で、相手をコントロールしようとする加害だと思う。

善意もまた異常なコントロール欲であることを身をもって理解した。

これから先にどう行動するのか

では、今後どう行動するべきかを考えてみた。

相手には必須なとき以外絶対に関わらない これもまた執着というジレンマ

まずはここからだ。

視界にも入れないようにするべきだ。

しかし、この「絶対に関わらない」という言葉が出る以上、未だに執着を捨てられてない合図だと僕は思う。

これは執着で人を傷つけた先に発生する逃れようのないジレンマ。

こればかりは、人間関係が不慣れな僕にとっては避けようのないジレンマだ。

だが、直感でわかる。

もう事務的に必須な時以外は絶対に関わってはいけない。

言葉で謝罪をしてはいけない

前項と被るけど、謝罪もしてはいけない。

言葉で謝罪してはいけない。

できることはただ、健全な境界線で自分軸で自分の未来を見ること。

こういった状況での言葉の謝罪は、相手を傷つける。

相手にとって僕はもう、得体のしれない凶器になってしまったのだ…。

何をしても、凶器を向けることになる。

言葉で謝罪をするなんて最悪の行動だ。

できることは、ただ境界線と俯瞰力を高めた自分で過ごし続けること。

何もかもをここまでにする

この文章を打つこの瞬間で、ここまでにする。

相手に対して何かをすることはもう無い。真の意味で無関心になる。

今回の件は事実として存在するが、相手がどう思ってるを考えてる事自体が執着で不健全。

相手の気持ちは相手の問題であって、これ以上想像するのはさらなる加害だから。

だからもうただ、自分軸としての反省を活かして、この件をここで終わりにする。

不慣れなら、踏み込んだ会話をする前提の関係で出会うべきだ 例えばマチアプ

一歩勇気を踏み出したいと思うのは良い。

でも、身近な人を傷つけるのは最悪。

境界線や執着に関する理解が足りないのなら、絶対に身近な人で試してはいけない。

だから、勇気を踏み出すのなら、同じ勇気を踏み出そうとする人間同士が出会う場でやるべきだ。マチアプとか。

もし自分が異常な境界線を持っているのなら「踏み出そうとしていることの境界線が同じ人同士で会う」ことが一番健全だ。

頑張るマンの遅すぎた青春は事案で終わった。

-反省日記