精神疾患闘病

鬱病哲学「ストレスケア」は「自分との約束を守ること」に収束する可能性

頑張るマンです。

題名がそのまま、僕なりの結論。

ストレスケアに有効なのは「自分との約束を守ること」の一点に収束するのでは?という持論

ストレスケアは人によって様々。

散歩、絵を描く、ゲームする、音楽を聴く、筋トレ、とにかく寝る、などほかにも人によって様々。あとはスニーカーを磨くとか。

題名に鬱病と書いてあるものの、ストレスケアと鬱病治療は同義ではないと思っているので療養は主治医かカウンセラーとともに方針を決めて行くことをお願いしたい。

鬱抜けに近づいて自己対処を考えてる段階に有効的な記事になることを願って書いている。

ストレスケアとして行っている行動

運動、読書、掃除、瞑想、爪切り、爆買い、断捨離、森林浴…。

人によってストレスケアの具体的行動は違うよね。

うん、確かにどれもやったらスッキリしそうだ。

そう、やったらスッキリしそうなんだ。

それがこの記事のキーワード。

なぜ、それをするとスッキリするの?

なぜ、それをするとスッキリするの?

それは「何かをやった」から。

これは永い闘病生活の中で、僕が勝手に考えた一個人の持論に過ぎないんだけどね。

人によって違うのはもちろんその人の素敵な個性だと思うけど、その人にとってその人なりに「何かをやったと感じる瞬間がある」ことなんだと思う。

人によってやることが違うし、人によってそれを「やった」感覚も違う。

じゃあ、

なぜ、「やる」とすっかりするの?

なぜ、「やる」とすっかりするの?

それは、「やろうとしたことをやったから」だと僕は思っている。

段々と抽象的になってきたよね。

最近考えるんだけど、よくあるじゃない?

偉人の言葉あるあるで、考え続けた人ほど残す言葉がシンプルなパターン。

それってきっと、どんどん抽象化していって何もかもを包み込む根っこにたどり着いた人たちなのかなって感じるんだ。

話がそれたから戻そう。

やろうとしたこと、やりたいと思ったことをやった時に「やった」感覚があるとストレス発散に繋がる。

これをさらに根っこに近づけて考えてみると、題名になる。

やりたいこと、やろうと思ったことをやる。

これって何だろう?

その正体は、

自分との約束を守ること

これじゃね?

と言うのが双極性障害闘病7年目現在(2026/04/10)に得た一つの哲学。

ストレス発散って「無意識に自分との約束を守ってる」状態になった時に成立してるんじゃない?と言うのが僕なりの哲学。

歩きたいから歩いた。

音楽を聴きたいから聴いた。

部屋を掃除しようと思ったから掃除した。

筋トレしようと思って筋トレした。

これって全部、自分との小さな約束を守ることに収束している気がするんだ。

で、これを鬱病の経過とも繋げて考えてみてもなんとなく繋がると思うんだよね。(もちろんそこは主治医やカウンセラーと相談して欲しいけど)

最初は寝ることに徹底すると自分に約束して守り続ける。次は少し上半身を起き上がらせる時間米増やしてみる。

これもまた、約束を守ってるって思わない?

もっと言えば僕の場合は、双極性障害の発症について考えると何もかもの約束を守れなかった時のような気がする。

ノルマ、納期、自分が思うクオリティ、嫌いな人の無関心になること。

それらの約束を守れなかった自分が居たなぁと。

そんなことを考えていたら、ストレスケアって、「自分との約束を守ること」に収束するかもって思った。

もし共感してくれるなら、約束のハードルを下げてみないか?

心臓が動いてたらオッケーくらいまで。

トイレに行ければオッケーになって、1秒でも玄関まで行けたらオッケーになって、そうやって自分との約束事として意識して達成して行くことがストレスケアになるんじゃないかな、と思う朝でした。

-精神疾患闘病